時が付加するものを商いたい

 チャットGPTとかを巡っての議論が喧しい。小生のようなガラパゴス島原人には何のことかよく分らない。ただ、AIの力を借りれば何でも作り出せるような風潮には大いに疑いを持つ。

 そうは言っても、我が出版部のやっているPODもこうしたテクノロジーの流れの中で可能となっている。一点しかないオリジナルなものが、安価にたやすく復元できる。確かにすばらしい技術の力だ。ではそれで、オリジナルなものの価値は崩壊してしまうのだろうか。そのすべての属性が再現できるのだろうか。

 いま古本屋の大勢はネットによる通信販売になってきている。その商品掲載の際の状態表記で「経年によるヤケあり」という常套文句がある。それを劣化と見なし欠点として表示している。引線があったり汚れがあれば欠陥に違いないが、経年による変化それ自体はオリジナルの宿命、というより、それを証明する特質ではないのか。

 たとえば、プラモデル作りの趣味が昂じるとピカピカの完成品に、わざわざダメージ加工をするそうだ。モデルとする過去の原形に近づけるために、風雪にさらされてきたような細工をする訳だ。根付という帯にはさむアクセサリーがある。これの愛好家たちは新品同様のものより、言わば使い古し手垢にまみれて生じた変化を「なれ」と称して高く評価する。さらに古染付では、くすみは枯淡の味わいとして賞揚される。

 つまり、原型→経年→劣化→減点という見方をしない。オリジナルがただその稀少性だけで貴重な訳ではなく、年月に耐えて愛惜されてきたことが尊く、時間をかけなければ現前しない価値があるという考えなのだ。原型そっくりさんは作れても、それが経てきた時間までは再製できない。どれほど物質的変化のように見えて、そうした分析手法では説明できない、人間のノスタルジーにかかわる領域がある。そしてそれを愛玩できるのは人間だけなのだ。AIがどれほど未来をバラ色に描こうが、しょせんそれはピカピカの「今だけ」の世界だ。個人であれ社会であれ、過去からの持続があってこそアイデンティティーが保たれる筈だ。一冊の古書のヤケやくすみを嫌って、やたら新品同様を求めるのも ある種の玩物喪志なのではないか。

 ネット上の応接に追われている本業の鬱屈を吐露しました。出版物の方の新品は それはそれでご愛顧下さい。

                    2023.5.31 島元 健作

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